今更ですが、3/11の大地震の日の我が家は、ぺろさんと二人で自宅におりました。
最初、あ、地震だって思ったらこれが案外長くって、しかもだんだん揺れが大きくなってゆく。これはけっこうなアレかもしらんな。そう思い、ぺろさんを抱き寄せて、リビング内の物が落ちてきそうにない一角にペタリと座りこんでやり過ごしました。
地震の途中でプツリと消えるテレビ。あ、停電したなと理解し、これはどこぞで大きく揺れたに違いないと確信。電気が使えない=テレビもネットも見れない、ということで状況がわからず、携帯をポチポチ。どうやら宮城が震源らしいと知る。
しかし、我が家は無事だったものの、窓の外に見える電線が相当波打っていたことが気にかかり、この近辺の状況を窺いに、情報収集がてら近所をぷらぷら偵察に出かけました。


ぺろさんとよく行く公園へ行くと、母子が一組。しばらくすると夫婦で子供を連れた家族がもう一組やってきたので、先ほどの地震について話し合う。ご夫婦で来ていた方のお宅は、我が家と同じく停電中。もう一組の母子の方はというと、停電は免れたと言う。どうやら、我が家からやや大きめの交差点を渡って少し裏道に入ったところらしいのだけど。
なんにせよ、乳児がいらっしゃるということなので、ご無事でよかった。

後から計画停電を経験して分かったことなのだけど、一本裏手の道の方は電力供給的に別ゾーンに入るようです。計画停電中でこちらは真っ暗でも、一本裏手に入ると電気がついていました。
しばし世間話にふけり、周囲の様子も別段いつもと変わることはなく(人はいつもよりも少なかったけれど)多少の安心感を得る。20分程そうしていただろうか、小雨が降ってきたので井戸端会議は解散。各自自宅に戻る。

しかし、こういった感じで落ちる停電はきっと長引くだろうなと直感し、懐中電灯を購入する目的で、車で近くのホームセンターへ向かう。
車のガソリンは半分程度。万が一、余震などが続いた場合にどこかへ避難するとしたらガソリンがもう少し必要かもしれないなと感じ、道中のスタンドで給油。
ホームセンターへ続く道筋はわりと停電ゾーンが続いていた。お店の電気がついていないことでそれに気付いた。

ホームセンターに到着すると、こちらは電気はついていたものの、既に懐中電灯は数える程度しか残っていない。まあそれでも買えただけ幸いでしたが。けっこう停電世帯多そうだったもんなあ。とりあえず残り物の懐中電灯と、携帯充電機能付きのラジオを買っておいた。ろうそくは仏壇用のちっさいのしか売ってなかった。

電気が使えないんじゃ、料理をするにも難儀するかと思いコンビニへ立ち寄り。停電ゾーンのコンビニではうす暗い店内に人が詰め掛けていた。レジが使えないから大変そうだった。
ので、電気がついてるゾーンのコンビニへ移動。こちらも買い物客が多かったものの、先ほどの店よりは混乱しておらず、品薄ながらも普通に買い物ができた。
ちょっとしたお弁当やパン等を買い込んでいると、デビットさんから着信。お互い、生存確認がとれてひとまず安心。「なるべく早めに帰るから。」と言って電話は切れたが、後ほど、電車が全面的に動いていないことを知り、慌ててこちらから電話をかけてみるも、一向に繋がらず。電車動いてないみたいだから、慌てて帰ってこなくて平気だよ、会社に留まれそうならそうしてくれと伝えたかったのだけど。

車で20分程のところにある実家にも何度か電話をかけてみたけれど、こちらも一向に繋がらず。
と、まあ、真っ暗な自宅で夜を迎えるための準備をしているうちに、だんだん日が暮れてきた。その頃、ようやく実家から着信。お互い電話していたが、繋がらなかったことを知る。そして、実家は電気等、ライフライン全般無事だということを知り、それならお世話になろうかなということになり、いったん帰宅し、ちょっとした着替えと携帯の充電器等、必要なものを持って実家へ向かう。
ちなみに、あたり一帯停電している我が家は本当に真っ暗で、懐中電灯で照らしたぐらいじゃあ、足元しか見えないぐらいの暗さだった。昔のひとはこんな暗い中、夜を過ごしていたのか…。

実家へ着くと、電気もついてて途端に日常に戻った感じ。
先ほど買い込んだコンビニ弁当と実家にあったもので夕飯をとり、夜が更けても自宅の停電は続いている様子だったので、そのまま実家に宿泊することに。
その間、デビットさんとは二度ほど連絡がとれたのだが、やはり新宿界隈で帰宅ジプシーになりかけていた。ツイッターで見かけた避難所情報を伝えたりしていたのだが、やはりデマめいた情報もあったようで、無駄なご足労をさせてしまったりも…。鵜呑みは危険だねえ。夜11時過ぎ、デビットさんの実家方面へ向かう某私鉄電車が動き出し、どうにか実家へたどり着くことができたようで一安心。
そんなわけで、我が家は全員無事でした。

でも、実家について、テレビに映し出された信じられない光景。そこに街があったとは思えないようながれきの山の映像には、現実感がわかないのに、ただただ目をそらすことができませんでした。他人事じゃない、ということだけは強く認識していた気がする。
ちょくちょく続く余震もあったけれど、なんか妙に頭が醒めていて、実家にいた安心感もあったのだろうけど、不思議と恐怖心は少なく、この日はなんだかずっと、すごく冷静でした。

恐怖心がわいてきたのは、その翌日、家に帰ってからでした。
この日はぺろさんも久しぶりに夜泣きした。地震があってもわりと、こわーい!と言いながらもニヤニヤとしていて余裕の表情を崩さなかったのだけれども、やはり親の不安感が伝わっちゃったのかもね。
あまり不安がっているのも、子供に伝わってしまってよくない、とは思いつつも数日間は不安感が抜けず、心から笑うことができなかった気がする。ただ、不意に、一瞬でも、本気で笑わされたりすることはあるわけで、笑わせてくれた友人・家族には感謝しています。

年末、岩手県宮古市に引っ越した友人の生存確認もできたし、このところようやく気持ちが落ち着いてきたので、とりあえず書いてみた。
宮古の友達は、家も車も流されちゃったけど、無事らしい。岩手に留まり、県内でアパートを借りて引っ越ししたとのこと。救援物資等で食料や洋服がてんこもり、被災成金だよーなんてメールが来たけれど、そんな風に言えるようになってよかった。生きててくれて本当によかった。

まとまらないまま、長文ですみません。読んでくださった方、有難うございました。