普通じゃない

疎外感を抱かずにその場に順応できること。
それが一人称的な「普通」なんだとしたら、私はきっと「普通」じゃない。
実のところ、疎外感を抱かずに生きてこられた人の気持ちってのが、私にはよく分からないのよね。なんだか自分は3月生まれってこともあって、非常にドンくさい子供だったのですよ。
あのね、オトナになった今となっては、3月生まれがどうのこうの言っても、何言ってんだ??ってかんじかもしれないけど、幼少時代の半年・一年の人生経験ってのはけっこう差が開くもんなんだと思うのよ。ましてや私一人っ子だったしさ。姉なり兄なり、上の兄弟が身近にいれば、また違うと思うんだけどね。見て触れて学ぶこともあるだろうし。
周りの皆が当たり前のように出来ることがなかなか出来ないドンくさい自分に疑問を抱くわけですよ。私は「普通じゃない」のかもしれない。
もっと言えば、私は皆より劣っているのやも…なんつって、コンプレックスが積もり積もってツモリチサト。まあ、さすがに今はもう、開き直れる図太さも身について、それなりに折り合いついてるけどさあ。
まあ、ともかくそうやってうじうじした幼少時代を送ると、それがどことなく癖になるわけですよ。そして今だにネクラちゃん。いやまあ、元々の素質もあるんだろうけど、そのへんの記憶も大きいと思うね。
疎外感ってのはおっかないもんだと思うよ。
しかしこの場合の「普通じゃない」ってのは、「変わった人だと思われたい」とかそういう自己顕示欲ではなくって、「自分は普通にも満たない」という劣等感であるのだと思うけど、今となってはわからない。もしかしたら、人と違う自分を少し楽しんでいたのかもしれない。いや、今はちょっと楽しんでるかもね。むしろ、そんなふうなマイナス面もあるんだから、楽しめるんであれば楽しまないと損ですよきっと。
ってまあ、そんなに普通じゃないとも思わないけど、生活っぷり的にはたしかに普通じゃないんだろうなあ。
まあ、なんだっていいけど、「普通に生きるのって大変」的な文章が人の日記にあったのでちょっと考えてしまったのです。たしかに大変なんです。私もかつて悩んだことありました。
だけども、普通を目指さなくてもいいんじゃないかななんて今となっては思いますよ。許されるのであれば、ですが。
そんなこんなで、とりあえず、この「普通じゃない」状況を許してくれてる周囲の人々に感謝するばかりであります。ありがたい。