グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

なんかもう、悪意がみなぎっていてゲンナリするんだけれども、止められず一気に読んでしまいました。神経症になりそうな本だ。
努力しても超えられないものはある。容貌なんかは特にそうだ。努力して着飾れば、それなりにカバーはできるけど、天然美人にはかなわない。勉強だってスポーツだって、努力してそれなりのところにはいけるけど、しょせん天才にはかなわない。
それでも努力を続ける人・諦めて他の何かを探す人・戦線から外れて醒めた目で戦場を見つめる人。
うーん、つらつら長文書いたけど、イマイチしっくりこない。たぶん、まだ消化できてないんだなあ。
登場人物たちのほとんどは皆、名門のQ大付属女子高で出会うのですが、そこがものすごい階級社会。内部から来てる子たちが一番エライのね。長くいればいるほどエライ。小学校からいる子たちが一流で、中学校からいる子たちはその次、そんで高校から入ってきた子たちは傍流。
そういえば、わたしの通っていた女子大もまた、小学校からずっとつながっている学校だったのですが、やはり内部の子は集団で固まっていて、外から来た私たちなんかはとても入りづらい雰囲気だったなあ。まあ、結局内部の子とはほとんど関わりなく卒業しましたけど。一人だけ、最初の頃に仲良くなった子がいたのですが、男の子と洋服の話しかしないので、つまらなくなってあんまり話さなくなった。赤いカーデガンの似合うカワイイ子だったんだけどね。決してキライじゃないけど、話が合わないんだからしょうがないよね。その後、サークルがらみで友達はいっぱいできたけど、クラスではあんまり友達できなかったな。そういうことか。別にそんなに気にしちゃいなかったけど、そこにしか居場所がない人はそこにしがみつくしかないもんな。なんてことを思ったりして…。
この学園で主な語り手の「わたし」が出会った「佐藤和恵」。この人が東電OLをモデルにした人物である。
報われないということは分かりきったことなのに、それでも努力を続ける人。必死すぎて痛々しいぐらいだ。でも、努力しても努力しても、報われない。誰にも受け入れてもらえない。
また、「わたし」の妹「ユリコ」は、悪魔的な美貌を持つニンフォマニア。「わたし」は、ユリコと比較されて育ち、異常なほどの容貌コンプレックスに苛まれることになる。
和恵とユリコは、学校を卒業し20年たった頃、お互いに渋谷の円山町で立ちんぼの娼婦として再会することになる。
この小説は、登場人物の手記や告白で成り立っていて、たびたび一人称が変わるのだ。その語り手によって、微妙に話が食い違う。どいつもこいつも主観ばかりで語っていて、自分が一番正しいと思い込み、他人を罵倒する。
とりあえず、皆が皆孤独で、自分の居場所を探してるかんじだった。
なるほど、誰かに受け入れて欲しくて娼婦になるのか。分からなくはない。でも、分かったわけでもない。
誰の気持ちも本当には分からない。だけど、分からなくはない。そんなかんじ。やっぱり消化できてない。
だけど、ズーンと残る。そんな本でした。
誰にも負けないものひとつ、欲しいよね。だけど、ほどほどでいい。生きていけるぐらいでいい。