6日、日付が変わる少し前、祖母が息を引き取りまして、茨城へ行っておりました。
もう90だったので大往生と言えるのでしょうけれども、ずっとたいした病気もせずに元気に一人暮らしをしていたパワフルな人だったので、入院したと聞いたときは一同驚いたものでした。入院してしばらくして、寝たきりでほとんど目を覚まさなくなったと聞きました。
孫は来なくていいという本人の言葉と、病院に7歳以下のお子様は来院をご遠慮くださいという張り紙がしてあったらしくお見舞いには行けずじまいでしたが、お通夜の時に見た祖母の顔はとても穏やかで今にも起き出しそうな穏やかな表情をしていました。
母方の祖母だったのですが、母は8人兄弟で、兄弟は息を引き取るまでの一週間ほど、病院のある茨城県内のホテルに泊まり込んでいたようです。息を引き取った当時は、ちょうどうちの母と長女(母の姉)が病室にいて、子守唄を歌っていたそうです。
とかいい話風味のことばかり書いてもいられないんですけどね。

  • 一日目

亡くなった翌7日が友引だったのでお通夜は8日に延期されたのですが、うちの母の勘違いで一日早く着いてしまった神奈川在住組だったのでした。しかも到着した途端に初めて言われたわけで。私なんかはまだいいけれども、仕事を休んできた従姉妹たちやデビットさんなんかは開いた口がふさがらず。半笑いで「今日なにしよっか…ふふふふふ」とか呟いておりました。しかしホント何もない街で、こんな何もない街で何をしろと!?と言いつつ、ユニクロやヨーカドーなどをうろついている間に一日は終わってしまうのでした。
ビジネスホテルに宿泊したのですが、大浴場があったのでそれはちょっと嬉しかったです。
そして実は、日記にたびたび書いているイトコ姉妹(姉K&妹T)(今回イトコがたくさん出てくるのでイニシャルトークでいってみます)の両親は、私の両親と兄弟姉妹同士なのです。つまり、うちの母とイトコの母が姉妹で、うちの父とイトコの父も兄弟なのです。そして、父兄弟は数年前に仲違いをして、何年も口をきかないどころか会ってもおらず、この日久しぶりに顔を合わせて、共に食卓を囲むことになり、ひそかにヒヤヒヤしていた娘たちだったのですが、皆で夕食をとった際に弟から兄に声をかけ、乾杯(この場合、献杯か?)をしておりました。
人の生死というのは、いろんなことをリセットする力があるのだなあと思いました。

  • 二日目

さて、翌日はお通夜。ぺろちゃんが大暴れでお経やお説教などは半分程度しか聞いていられなかったのですが、祖母の顔を見て急に実感がわいてきたりして、なんとも言えない気持ちになりました。
お焼香などすべてが終わり、食事の時間、ぺろちゃんは埼玉在住の従姉妹、M子姉さんちの三男Sくん(2歳10カ月)と気さくに戯れておりました。食事が寿司とか生ものが中心だったもんであんまり食は進まなかったようだけど楽しそうだったのでよかったです。
食事が終わって外へ出ると、花火と見まごうほどにくっきりとした流れ星がゆっくりと尾を引いて流れていきました。本当に花火かと思ったんだけど、場所的(国道沿い)にも季節的にも違うよなあ?と思って、近くにいた伯母に声をかけると、「え!流れ星?ホントにい。今ちょうど(おばあちゃんの棺が)出ていったから、おばあちゃんかもしれないねえ。」と言われ、そうかも!と思いました。だってあんなにゆっくりくっきり流れる星なんて初めて見たよ。さすが、おばあちゃん。星になってもくっきりたくましいんだね。
ホテルに戻り、ほとんど食べられるものがなかったぺろちゃんにコンビニで買ってきたおにぎりなど食べさせたり、お風呂に入って疲れをとったり。従姉妹たちは、従姉妹(姉)Kの旦那Nくん(カレーを四杯たいらげる大食漢)が食べたりないというのでのホテルの目の前にある定食屋で軽く呑みつつ食事をとりにいってましたが、子連れなので諦めた私です。
ちなみにこの店ののれんがおかしなことになってました。店名とかでなく、ただひらがなで「め」と書いてあるのれんが4枚ひらひらしているのです。前夜、「なにあののれん!?」と激しく指さして発した私の問いに、ちょっと考えて「わかった!「め」が4つで「めし」だ!!」と答えてくれたNくんに5000点差し上げたかったです。

  • 三日目

翌日の告別式は朝が早いので早めに就寝。しかし、ぺろちゃんはものすごく寝相が悪いので、ベッドで寝かすのは気が気じゃなくて寝た気がしない二日間でした。でもがんばって起きたよ。うさぎみたいな目をしてメイクをしたよ。ぺろちゃんも、よそにお泊りで興奮気味なのかなかなか寝付かずで朝はとても眠そうでした。
告別式は、お通夜に来ていなかったけっこう仲の良い従兄弟Kが来ていて、久しぶりの会話に花が咲いたりして。花を咲かせている場合でもないのかもしれないけれど、きっと楽しく見送った方がいいよね。
今日もまた、M子姉さんちのSくんと戯れるぺろちゃん。なんか、決まった相手とともに行動するっていうことが今まであまりなかったから、これも成長の証かしら?と思い、ちょっと感慨深かったです。
祖母の骨は真っ白できれいだったです。しかし、人間は焼いちゃうとこんな小さな箱におさまってしまうのだなあと思いました。私、密室とか苦手だけど大丈夫かな。死んだあと。とかなんとか心配しちゃってみたりして。まあ、死んだらなんにもわかんないのかな、やっぱり。
お坊さんの都合がつかず、お経などはお通夜にまとめてよんでもらったため、告別式は思ったよりもあっさり終了。その後、全員で料亭に移動して食事。祖母の友人やなんかはもうほとんどお亡くなりになっており、身内だけのいわゆる「密葬」だったのだけれども、なんせ兄弟だけでも8人いて、その家族から孫からせいぞろいするとえらい大人数なのですよ。ちょっとしたサークルよりも人数いますからね。ここにいる全員が祖母から派生した家族なのだと思うと、単純にすげえなあと思いました。
ちなみに、ご霊前なし、ホテル代葬式代などはいっさいがっさい、祖母の残した財産から払ってくれ、なるべく残さず使う方向でという祖母の遺言だったそうでした。もう兄弟も皆家族があっていい歳だし、残しても揉める元になったりするかもしれないしね…。粋なはからいだぜ。おばあちゃん、ごちそうさまでした。
すべて終了して、M子姉さんや従兄弟K(この二人は姉弟だったりする)と少し話してから、神奈川組は車で帰宅してきました。一日早く行っちゃったり、ぺろちゃんが大暴れだったりといろいろ大変でしたが、なんとかなってよかったです。帰宅したらけっこうぐったりしてしまいましたが。
久々の家での夕食はぺろちゃんの食いつきがえらいよかったです。宿泊中はずっと外食だったからね…。おうちのご飯さいこーう!つって。
ともあれ、おばあちゃん、長い間おつかれさまでした。どうか天国でおじいちゃんとゆっくりしてね。と言いたいです。