はてな年間100冊読書クラブ 二期目 28冊目〜32冊目

ひさしぶりにまとめてどーん!です。読んだらすぐ書こうね、自分……。引用多めで長いのでたたみます。

パーク・ライフ

パーク・ライフ

実に淡々としていて、さらっと読めてしまった。日比谷公園が舞台なのですが、こういう感覚は分からないでもないし、情景も浮かぶ。リアルにあってもおかしくないような、なんだろう、誰かの日記とかブログを読んでいるかのような日常感。特に何が起きるわけでもないのですが、偶然の男女の出会いによるちょっとしたわくわく感はあったかもしれない。まあ、違和感なども特に感じずさらっと読めました。もうひとつの「flowers」の方はもうちょっと人間くさいかんじ。元旦は、身近にいたら多分気になる存在だけど、関わったら関わったで面倒が起こるタイプのヒトかもしれない。

いづみ語録

いづみ語録

ずいぶん昔に買って本棚にあったのだけれど、ちゃんと読んでいなかった、或いはしみこまなかったかで、中身の記憶がなかった一冊。
読んでいて、すごく共感できる部分もあれば、まったく共感できない、むしろ腹が立つ、ぐらいのこともあったのですが、ともあれ、上のとは違って、さらっと読み流せるようなものではなかったかもしれません。良くも悪くも。
まあ、語録なのでね、気になった言葉をいくつか抜粋しておきます。

生きがいとは、陽の光とか、陽が沈むところを見ているとか、そういう感覚的なものだよ。その瞬間、瞬間を体験するために生きているんだなあと思う。

同意します。

女らしい女には、たいていの場合、理解力がない。それよりもっと他人のなかへ侵入できるものがそなわっている。

これまた同意します。

ことばが世界だ。自分自身からいったん離れて対象をみつめなおす冷静さがないと、ことばを扱うことはできない。わたしには、ことばの世界、意識が明瞭である世界に生きていたい、という願望がある。わけがわからなくはなりたくない。

ことばを扱う人の、ことばに対しての考察を読むのが好きです。

わたしは、自分には過去がない、とおもっている。二十歳以前、というのがまるでなかったような気がする。そのころの記憶はあるのだが、感情をともなってこない。感情があったとしても、感情そのもののなまなましさはなく「あのとき、ああ感じたのだ」という、記憶でしかない。

二十歳以前、ではないけど、14歳以前、かな私は。これと同じかんじだ。

感受性が鋭くてしかも元気でいる、というのはむずかしいもんだね。

そうなのかもしれませんね。

ひとは、自分のもっているものしか、もっていないのだ

今の世の中で才能あるって言われるのはね、音楽やるにしても映画やるにしても、モノ書きにしてもさ、その分野の才能そのものよりも、むしろ政治的な才能に富んだ人なんじゃない?政治的にね、巧い人なんだよ…現代で才能ある人というのは

そう思います、ホントに。

死をおそれず、なんて不可能だ。わたしは死ぬのがこわい。死にたくない。死をおそれず、ではなく「死をおそれつつ闘う」のではないだろうか、と愚考する。暴力はいつだっておそろしい。ある暴力的な行為を「ばかばかしい」とかたづけるのは簡単だ。だが、そういうひとはどんな方法で、この世界にたいする恐怖心をのりこえているのだろうか。

死ぬのはこわい。まったくそうだ。初めてのことはいつだってこわい。ましてややり直しきかないし、さ。

死ぬという、そのこと自体は、じつにあっけないものだ。その現場にたちあえば、他人がおもうほどすごいことでないのは、すぐわかる。ひとは簡単に死ぬのだ。だれかの死がおもい意味をもつのは、その不在によってである。不在によって、死ははじまる。

こわい!!ぶるぶる。

私は客観性ということに神経質になった。思春期特有の、自分を大げさに考えるあの自意識が大きらいだ。だが、ひとりよがりになりたくないという思いの極端さは、自意識過剰の裏返しでもある。

そうなんだと思う。とても思う。

相手を信じきるという行為は、大変な偽善だと思い込んでいる。信じられる方は、全面的に頼られるのと同じだから、疲れるに決まっている。

ちょっと極端だなあとは思うけど、わからなくはないです。というのは、そんなつもりはなかったのに、「裏切られた!」て言われたときの気持ちを思い出すからです。

さして必要もないのに美容院へ行きたくなる時って、自分に魔法をかけたい時みたいね。魔術的思考って、未開人ばかりじゃなくて、いまの私たちにもとりついているみたいね。

あるあるあるあるー。ちょっとしたリセットだよね、美容院って。

どうしてわたしは、こんなふうにいいかげんなことばが吐けるんだろう。すらすらと口からでてしまうのだ。リズム感さえよければ。意味は二の次だ。テンポとリズムが問題なのだ。あとは全部、口からでまかせ気分しだい。

ああ、すんごい分かるそれ。テンポとリズムがポイントだよね。最近はもうちょっと考えて文章書くようになってきたけど。

わああ。いっぱいになっちゃってすいません。削れよって話ですが、メモしとかな忘れてまう!ごめん。

バカポジティブ

バカポジティブ

関根さああああああん!ポジティブです。たしかにポジティブです。前半は、正直、自己啓発本……??とか思ってしまいましたが、読み進めてゆくとやはり関根さんの優しさがしみてくるのでした。でも文中に「(笑)」とか入れるのはそろそろやめた方がいいと思います。すみません。せっかくいいこと、おもしろいこと書いてても、なんかそこで醒めてしまうのだわ。ブログとかならまだいいんだけど、印刷物だとなんかね…。個人的な感想ですけれども、ホントすいません。でも関根さんへの好意は変わりません!変わりませんとも!

ここで僕は、世の亭主族に考えてほしいことがあります。それは、「毎日家にいて、子どもと四六時中接しているのは奥さんなんだよ」ということ。毎日家事と子育てをがんばっているのに誰からも褒められず、夫からないがしろにされ続けている奥さんの欲求不満や憤りが、子どもに向けられる可能性は大いにある、ということに気づいてほしい。そして最悪の事態として「虐待」にまでつながることだってあり得る、ということを。
(中略)
本当に子どもが大事で、健全に育ってほしいと望んでいるのなら、一日の大半を子どもと過ごしている奥さんの欲求不満を、少しでも緩和させてあげる努力をすることが先決なんじゃないかと僕は思うんです。家事の手助け、足裏マッサージ、イタリア式抱擁……それができたら最高だけど、でももっとカンタンな方法がある。それは「感謝の一言」を口に出して言うことです。

ええ旦那さんやな〜。

穂村さんの、恋愛エッセイ。相変わらずおもしろい。妄想が山盛りだし、実話らしきところもいちいちおもしろい。おもしろいよ、ほむほむ!
グラスなどの底に必ず1センチほど飲み物を残す癖のある穂村さん、「どうして、きちんと飲めないの、いつもいつも、ちょっとだけ残して!」とフラれてしまったり、会社の内線電話がどうしても使えなかったり、車の運転に難ありでうまく駐車ができず、横浜に行くときも銀座に行くときも、東京駅近くにある駐車場に停めて電車で向かったりとか。ふわふわしているかのように見えて、そこまで自分を貫けるこのひとはむしろつよいひとだとおもう。
穂村さんは文中で「ワイルド」って表現をしてるけど、ワイルドというか、わけのわからないふしぎな人っているよね。そういう人にふわふわと近づいてしまうという穂村さん。わーかーるー。なんっか気になっちゃうんだよねー。引力があるんだよねー。ムフフ。

ワイルドでわけわかんない男のトラブルに関わって振りまわされる方が、優しくてわけわかる男に夜御飯を奢ってもらうより、ずっと楽しいのだ。いや、楽しいというのともちょっと違って、胸がきゅーんとなるのであろう。知ってるよ。そんなこと。行きなさい。行きなさい。行って雨にうたれて血と泥にまみれて罵って平手打ちして泣きじゃくって抱き合って、一度きりの命を燃やしてくるがいい。

ふいた↑。

人生を歩け!

人生を歩け!

町田康いしいしんじが二人で思い出の地をぶらぶら歩きながら対談していた。いしいさんも大阪出身なのね。二人のかけあいが案外おもしろいです。
いしいさんが、着ぐるみを着て、当時住んでた浅草の町を練り歩いたという話がおもしろかった。着ぐるみを着ることによって、周りの反応が変わるそうな。そらそうだろうなあ。気安く近寄りたくもなるよねきっと。

いしい:しかし、着ぐるみを着ていると、いろんな出来事が勃発するようになるんです。着ぐるみを着ているだけで、その周囲の状況がまるで変わってしまう。
町田:自分の外面を変えると、自分を見ている外側の世界が変わる。それだけで世界が一変するということやね。
いしい:そうです。本来、周りを変えるというのはえらい労力が必要なはずなのに、着ぐるみを着ただけで、それができてしまう。

ただのおもしろ話としても聞けますが、ちょっと興味深い話です。

いしい:町田さんは、大人になっていくプロセスについて、なにか強く実感を持っていることはありますか?
町田:俺の場合は、ともかく、自分の言葉が誰にも通じていなかった。通じていないことが、まったくわかっていなかった。ははははははッ。自分の頭が悪いからなのか、それとも周りの頭が悪いからなのか。それすらもわからなかったんやけど、自分の言葉が通じないことを認めたときから、大人への道を歩んでいたような気がしますね。
(中略)
でも、俺は、通じないということはきっちりと認めて、そのままにしておくべきなんだと思いますね。むしろ、いろいろな問題は、認めたがらないところから起きるんだと。

まだそこまで悟れないけど、言ってることは分かるような気がする。うん、気が、する。
とりあえず、言葉が通じてない方に関しては、この本文にもあったような気がするけど、言葉の周波数が合う人・合わない人ってのはいるよね、うん。

町田:(前略)人間って、成功したいものだと思う?
いしい:成功って、たとえば、お金持ちになるということですか。
(中略)
町田:自分の日常のなかにプチ成功をちりばめておきたいという気持ちは?
いしい:そういう願望はあるかな。めしがうまいとか。
町田:そういうこと、そういうこと。
いしい:たとえば、コンタクトレンズを落とす。でも、洗面台のはしっこに、かろうじてひっかかっていた。「おおー、オレは神に好かれている!」
町田:おおーッ、グッドラック!
いしい:「オレって、めっちゃ神様に好かれてるんちゃうーん」

なんだそのテンション。おもしろかった。

当たり前の価値観にたいする軽蔑というのは、いまでも残っているな。自分の発想の自由をたもっていたいというか、自由に発想できる自由をたもっていたいというか。それは、どんな場合でもどんな場所でもいける発想を持っていたいということやと思う。で、なにから自由になりたいのかといったら、なんか、いまあることや。自分のなかにある恐怖とか不安とか、そんなもんから自由になりたいわけや。

ああ、そうなのか。そういうことなのか。ここではないどこかへ行きたい、みたいな願望がずっとあったけど、それってそういうことだったのかな。今はそんなでもないけど。

浅草時代、吾妻橋のマンションにスペイン人が遊びにきたんです。どうせなら典型的な日本料理を食べさせてやろうと思って、それふうのものをふるまってあげた。納豆なんかはテーストに合ったらしくて、ダーッと食ったんですけど、たたみいわしを目にした途端、表情を凍りつかせて、「ノーッ!ジェノサイド(大量虐殺)!」って。わっはっは。涙目で。

わらった。大量虐殺て。

文章をメチャクチャにすると、明らかに発想が変わりますよ。文章から逆算される発想というのがあるから。音楽で、リズムを変えるとまったくノリが変わってくるのとおなじやね。

いしい:落語の話って、古典落語の場合は、何度も聴いて知ってるわけじゃないですか。それでも、おもろい人とおもろない人がいる。
町田:それはもう、その人の人間力でしょうね。おなじ曲でも、ミュージシャンによって間合いが強弱がぜんぜんちがう。演奏には、譜面上にあらわれていない部分がいっぱい出てくるわけでしょう。そこにあるのは、体質のちがいというか精神のちがいというか。やっぱり、人間力のちがいとしかいいようがない。

どちらも町田さんの言葉ですが、やはり音楽に例えるのね。分かりやすい。

子供は、うまくいかないことがあると、全世界が自分を拒んでいるような気になるでしょう。確かに、全世界は基本的にうまくいってない。まちがったまま運営されている。でも、そこで怒るのか滅入るのか。それとも笑うのかで、生き方は大きくちがってくると思うんです。

単なるおしゃべり対談かと思いきや、意外と深いことを話し合っていましたよ彼ら。軽い話もたくさんあるんだけどもね。重さと軽さがちょうどいいバランスで読めました。しかし、成増てそんな町なの……?気になってきたー。