はてな年間100冊読書クラブ 二期目 27冊目

ずいぶん、ご無沙汰してしまったこのカテゴリ。全然本読んでないし!66冊、絶対むりいいいい!どうしよ。そろそろ読書再開しなくてはね…。

どうして書くの?―穂村弘対談集

どうして書くの?―穂村弘対談集

対談集というので、気軽に読めるものなのかと思っていたらこれがなんというか、中身が濃すぎた。言葉についてとても真摯な人々による話し合いなので、発言がいちいち深い。そこらの小説よりもずっと読みがいありました。
高橋源一郎氏との対談は、正直難解すぎて、一度読んだだけではちんぷんかんぷん。さすが大学教授(高橋さん、たしかやってますよね…?)。二人が意気投合して話してるようなことが、さっぱりなんのことやらわからず。二度読んでようやくおぼろげに、というかんじでした。
昔の人と今の人の同じ年代の顔を見比べると、昔の人のほうが厳めしい顔をしている、表現に含まれた迫力が違う、とかね。昔は生きていくのも大変だったんだろうなあとかいう想像はたやすくできますけれども。今の方が断然寿命も延びてるし、もちろん医学だって進んでるしで、昔の人は今よりも断然、死が近かったんだろうなあ。
一青窈さんと山崎ナオコーラさんとの対談が一番すんなり入ってきました。女性だからなのかな?一青窈さんとの対談の中で、歌については、歌詞だけじゃなく、誰がどんな声で歌うかということも非常に重要だ、というようなことが書かれていたのですが、これはとっても同意。ただ情景を描写しただけのような歌を聴いていて、涙が出そうになったことがあるよ。歌には、声には、そんな力があるのですね。
さて、気になった文章を抜粋。たくさんあってごめんなさいなので、畳みます。

近代の特質は、先行者の否定なんですね。なぜなら、先行者を否定しないと、自分の存在価値がなくなってしまうからです。影響を受けているから、そして影響を受けているからこそ、否定しないと存在できない。アイデンティティーもオリジナリティーもその否定を通して獲得できるものですし。
穂村弘×高橋源一郎

そういうもんなんでしょうか?
よくわからないですけど、自分を正当化するために他を批判・否定するのってなんか違和感です。別にそれはそれでいいし、これはこれでいいし。って思いますけどもね。みんなちがってみんないい、ですよ。とはいえ、近代の特質ってことなんで、当時の時代性とかいろいろあったのかもしれませんけれどもね。

こんな恥ずかしいものに感動するわけないって思う言葉に感動する、あの敗北感……(笑)。その感動は、彼が自分で作詞・作曲して、それを自分で歌うというところからくるんだろうけど、やっぱり歌ってすごい”ナマモノ”なんですね。
穂村弘×一青窈

上に書いた歌について語ってる部分。ちなみに、甲本ヒロトの歌について語ってます。

インターネットは危険ですよね。インターネット上でのある種のコミュニケーションや自己表現には、変な言い方だけどセクハラに似たリスクを感じることがあります。つまり、セックスしたければセクハラをしてはいけないでしょう。女性に対してセクハラをするとその人とセックスできる可能性はゼロになっちゃう。もちろんセクハラをしないからといってその人とセックスできる可能性は一〜二%かもしれませんけど、それでもゼロと一は違いますよね。
(中略)
お風呂に水を溜めていて膝までしかないのに待ちきれずに入ってしまう感じかな。昔ながらの根性とかシステムをそのまま肯定するつもりではないのですが、安易に表現できてしまうことの危険性はあると思います。
穂村弘×長嶋有

ああ…なんか分かるなあこれ。自分の中に溜まったものを、小出しに出してしまうことによって表現欲求が薄まってしまうというか。そこで満足してしまうというか。そういうのはあると思うなあ。まあ別に、そこで満足できちゃえばそれでいい気もするけれどもね。

詩歌は無名性、生まれたての若い感覚と相性がいい。現実の体験や人間への微妙な感情を身につけることで詩歌が深まるかというと、かなり怪しいです。それはむしろ小説に居するものですよね。例えば漫画家なんかでは、最初の一作が最高傑作であることはまずないですけど、詩人や歌人は最初の一冊が最高傑作である率が非常に高いんです。つまり、だんだん書けなくなる。
穂村弘×長嶋有

なるほどなるほど。これはバンドにも言えるような気がする。特にパンク系な。

言葉には自発性がありますよね。自分の意図とは別に、言葉そのものが転がったり変化したりする。
穂村弘×中島たい子)

あるある。昔日記書いてるときによくあったわ。個人的には、狐憑き状態って呼んでたわ。

私が描いた世界をほかの人がどう受けとめて、どんなふうに返してくれるだろうっていう、そこが楽しみなんですね。感覚で反応してもらえることが。
(中略)
ドキドキしますよ。予想外のことが起こるから。
穂村弘×一青窈

これまた、バンド活動みたいだ。バンドそのものの楽しさだ。

(言葉の渦巻きに)ものすごく流される人、とても踏ん張れない人が、詩歌を描くんだと思う。ある程度踏ん張れる人は散文を書けるし、言葉に対してめちゃくちゃ支配的になれる人はエンターテインメントも書ける。
穂村弘×山崎ナオコーラ

実感から言うと、歳をとるとどんどん経験が自分を強化していくんです。かつて思春期に息もできないくらい圧倒された、苦痛の根源でありアイデンティティでもあったセンスのようなもの……それが渦巻きにつながると思うんだけど、その渦巻きがどんどん弱まって自分が強くなっていく。
穂村弘×山崎ナオコーラ

いいと思う基準を人に合わせると必ず「一歩手前」みたいな作品になっちゃうんですよね。
穂村弘×山崎ナオコーラ

要は文体の有無なんだと。小説を書けるか書けないかというのは、小説の文体が見つかるかどうかだから、見つかった時が書ける時だって。
穂村弘×川上弘美

そうなんだ!?